先日、テレビで未確認飛行物体や超常現象を扱う特集番組を目にした。
その内容自体は珍しいものではないが、番組を眺めながら、ふと別のことを考えていた。
世界には、土地ごとに神話があり、伝承があり、儀式がある。それらをもとに祠や寺院、神殿といった“超越的な存在を祀る空間”が生まれる。呼び名は違っても、中心を置き、その周囲に共同体が形成されるという構造はどこでも同じだ。
古代人は、雷を神の怒りと捉え、病気を祟りと感じ、天変地異を何かのメッセージだと受け取ってきた。こうした反応は、人間が世界を理解しようとするときに自然に立ち上がる思考の構造でもある。
私が関心を向けているのは、人が何かを崇めるとき、その背後でどんな構造が働いているのかという点だ。崇める行為が生まれた瞬間、象徴的な階層が立ち上がり、役割が分かれ、中心と周縁の構造が生まれる。結果として、共同体の秩序が自然に形成される。この構造は、現代のマネジメントにも静かに流れ続けている。
信仰は、個人の内面から自然に生まれる。人間は、風の音や影の揺らぎに“意図”を読み取り、理解できない出来事を物語として整理する。偶然を偶然として受け取ることが苦手で、世界に意味を求めすぎるのが人間の認知構造だ。
しかし、信仰が共同体の中で共有されると、物語は儀式となり、儀式は形式となり、形式は制度へと変わっていく。祭祀を司る者が現れ、聖域が整備され、司祭階級が生まれる。信仰は、個人の感情ではなく、共同体を維持するための“社会的インフラ”として機能し始める。
やがて宗教は政治と結びつき、共同体を統制する装置として利用されるようになる。王権神授説や神殿政治、国家神道など、宗教は“正当化された権威”として組み込まれていった。信仰は、個人の心理から始まり、共同体の制度へと広がり、最終的には統治の技術として利用される。
現代社会にも、宗教ではないが宗教のように機能するものがある。国家、企業理念、ブランド、科学、テクノロジー、お金──これらは、人々が信じることで成立する“現代の信仰対象”だ。人間は、超越的な中心を必要とする生き物であり、その中心が何であるかは時代によって変わるだけである。
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なぜ人は“見えないもの”を信じるのかー信仰とマネジメントの深層構造ー
